ものづくり王国・愛知

旭サナック株式会社

見えないところで産業の土台を支える

■ひとつの出会いからエアレス塗装機生産へ

創業当時のまま残る本館

旭サナックの歴史は、第二次世界大戦前の昭和14年に銃弾製造のために設立された大隈鉄工所旭分工場から始まる。その後、戦争中の昭和17年に旭兵器製造株式会社として独立したが、終戦とともに事業転換を余儀なくされる。社名を旭大隈産業株式会社と変更し、平和産業への転換を模索するなかで、繊維製品と繊維機械の生産がスタート。

しかし、当時、常務取締役だった甘利祐三さん(現・会長)は、将来は機械メーカーへ脱皮したいという思いを持っていた。そして、その目標を実現するために、航空機部品の下請加工などを手がけ、少しずつ技術を蓄積、人材を育てていく。やがて、ひとつの出会いが訪れる。それは現在の旭サナックの姿を決定づけたほどに大きな出会いだった。

昭和32年のある日、甘利さんは、A・J・ビーデというアメリカ人が画期的なエアレス塗装機を発明し、それを世界に普及させるにあたって、日本でも実施権を与える先を探しているという情報を得る。当時の塗装機は霧吹き式のエアスプレーで、塗装面に付着するのは吹き出された塗料の20%にすぎず、残りの80%は空気中に飛散してムダになっていたうえ、塗装工の健康を害する恐れもあった。エアレス塗装では、飛散が50%に減少する。その話を聞いて、甘利さんは機械メーカーへ脱皮するチャンスと確信した。

翌年の5月には、アメリカでつくられたエアレス塗装機を、日本の輸入先から1日だけの約束で借り受け、徹夜で分解して、スケッチした後、また元の姿に戻して荷造りして送り返した。その時の情報をもとに4カ月夜を徹して試作機を完成し、発明者のビーデ氏に面会して交渉に臨んだ。甘利さんは、10日間の交渉の間、一時もビーデ氏から離れずに、技術提携を訴えたという。その努力が実って、最終的にはビーデ氏と意気投合し、エアレス塗装機の特許実施権を暫定的に無償で入手することに成功した。

こうして国内初のエアレス塗装機の生産が始まったが、霧吹き式のエアスプレーが一般的な時代に、まったく新しいエアレス塗装機の性能を理解する企業はそれほど多くはなかった。それでも、屋外で塗装される造船や建築など、エアレス塗装機に適している分野では、その優れた機能が認められ、しだいに普及していった。その後、コンプレッサーの要らないエアレス塗装機を開発、建築業界で広く採用されるようになった。昭和51年には、旭サナックのエアレス塗装機は、建築塗装の分野で40%のシェアを獲得するまで成長している。

■塗着効率100%をめざす

エアレス塗装機

エアスプレーは空気と塗料を一緒に噴霧するが、エアレス塗装は塗料にだけ圧力をかけて吹き出すため、飛散が少ないというメリットがある。しかし、エアレス塗装がすべての塗装分野に適しているわけではない。世の中で塗装されていないものを探す方が難しいほど、塗装分野は幅広い。当然、従来のエアスプレーの方が適している分野もたくさんある。

そうした、あらゆるものの塗装に対応するため、昭和50年代の初め、旭サナックは工場内の工業塗装分野への進出を決意し、静電気を利用したエアスプレー塗装機の開発に乗り出していく。また、工場の生産ラインに組み込み、自動的に塗装を行う機械の開発にも着手。昭和54年には、「人手がかからず塗料を少なく」「NC工作機械の原理を応用」というコンセプトのもとに、自動塗装機「サナック」が誕生している。これはコンピューターに記憶させた数値データによって、塗装をコントロールする画期的な塗装機だった。

現在、旭サナックはエアレス塗装機のほか、静電気を利用した塗装機、NC塗装システムなど、屋外から工場内まで多様なニーズに対応する塗装機をつくっている。自動車をはじめとしてテレビ、携帯電話、住宅など、旭サナックの塗装機によって塗装されたものは、身近にたくさんあるはずだ。

塗装するうえで最も大切なことは、塗料を均一に塗り、しかもその塗料の膜を必要以上に厚くしないことである。そのためには、スプレー塗装の場合、塗料の粒の大きさを揃えるとともに、塗料の粒をスプレーして飛ばすときの速度を制御する必要がある。さらに、作業性を考慮した小型・軽量化も不可欠な条件だった。

15年ほど前に開発した、塗着効率が高く、世界一の小型軽量化を実現したハンド静電ガンは、その技術の粋を集めた代表的なものだ。それは、静電気のプラスとマイナスが引き合う現象を利用して、霧にした塗料を効率よく塗装する仕組みで、現在、自動車ボディの塗装に多用されている。このハンド静電ガンをつくるには、ガンの中に組み込む小型の静電気発生器が必要だった。

しかし、当時、人間の手の平におさまるような小型のものをつくる技術は世界中探してもなかった。そこで、社内の技術者が静電気発生器の開発に着手したが、小型化は思った以上に困難な道のりだった。初めての試作器は「このガンを使いこなせるのはガリバーしかいない」と評価が下ったほど、今のものと比べて重量は5倍、大きさは4倍という、とても人間が手で持って塗装作業を行えるようなものではなかった。

その後も試作を繰り返し、開発をスタートして5年後、やっと塗装現場で使えるハンド静電ガンの開発に成功し、さらに3年後には、世界一軽量小型のハンド静電ガンが誕生した。

「私たちは、塗料の100%を製品の表面に付着させることを目標にしています。従来のエアスプレーは、噴霧した塗料のうち表面に付着するのは20%程度でした。現在、当社の塗装機を使うと、それが場合によっては90%を越えるケースもある。また、ムダにした塗料を回収して再利用することも可能になってきました。地球環境を汚さないという面からも、効率的に塗装することは今後ますます重要になってきます」と甘利昌彦社長は話す。

塗料を圧送する特殊なポンプや制御された霧をスプレーするためのノズルの技術、温度・湿度などの条件に合わせて、最適に塗装できるように調節するソフト技術など、これまで培ってきた塗装に関するノウハウがあるからこそ、そうした効率的な塗装が可能なのだろう。甘利社長は「塗装の作業環境改善の面でも、我々の使命は大きい」と強調する。

■圧造機製造もある出会いがきっかけ

圧造機

塗装機とほぼ同じ時期にスタートした旭サナックのもうひとつの主力事業に圧造機がある。圧造とはコイル状になったワイヤ材を定寸に分断し、絞り、据え込み(押しつぶす)、押し出し、穴あけ、打ち抜きなどの加工を繰り返して材料を変型させる加工法で、主にネジ、ボルトをつくるのに使われる。圧造で加工された製品は強度が向上し、切りくずなどの材料ロスが少なく、生産性に優れているという特長がある。

このネジ、ボルトをつくる圧造機も塗装機と同様にひとつの出会いが生産のきっかけになっている。
昭和33年、あるネジメーカーから圧造機のボディを加工してほしいとの依頼があった。そこで、現在の会長である甘利祐三さんが「ぜひ圧造機の完成品を私たちにつくらせてほしい」と申し入れ、相手の合意を得たのが生産の始まりである。

旭サナックは戦時中、圧造に似た方法によって銃弾をつくっていた経験がある。その機械は大隈鉄工所が開発したもので、その技術を受け継いだ技術者が社内に残っていたことが、圧造機の生産に乗り出した背景にある。当時は日本国内の産業が復興するにつれて、ネジの需要が大きくなりつつある時代でもあった。

昭和34年には、圧造機第1号が完成。それを皮切りに注文が相次ぎ、その年には20台もの圧造機を生産している。その後も順調に増加し、10年後の昭和44年には11機種243台を記録した。さらに、自動車産業の急成長と家電製品の普及に伴って、自動車・家電に使われるネジの需要が増加し、圧造機の性能向上がますます求められるようになっていく。その要求に応えるように、生産スピードを向上させるとともに、多様なネジのニーズに対応するためにさまざまな圧造機を開発。現在では、直径5センチから1ミリ以下までの線材からネジ・ボルトを中心とした加工ができる機種を揃えている。

旭サナックは、塗装と圧造というまったく異なる生産機械をつくっているが、そこにはあるひとつの共通した特性がある。ひとつは、塗装やネジを必要としない製品はほとんどないため、それを製造する機械に対する需要は常に存在している点。もうひとつは、塗装やネジそのものを手がけるのではなく、塗装をする機械・ネジをつくる機械を製造している世界でも数少ない「隙間指向企業」というユニークな点である。そこに旭サナックというメーカーの独自性が明確に表れている。

■ユーザーにノウハウを提供

社長の甘利昌彦さん

さらに、旭サナックはユーザーに向けて常時ノウハウを提供しているという特徴がある。昭和38年に現場技術者と設計者による「圧造機械技術研究会」が発足。専門家を招いたセミナーを始めたのを皮切りに、工業塗装への進出をきっかけにして、ユーザー向けの塗装に関するスクールを創設、また、工場敷地内に「塗装技術センター」「圧造技術センター」を建設して、ユーザーに開放。各ユーザーは、これら施設を利用して最新技術のノウハウを取得できる。30年前から、これほどユーザーのために技術を公開提供しているメーカーは極めて少ない。

「私たちの機械がユーザーの事業に貢献できるまでフォローするのは当然ですが、単純なアフターサービスだけでなく、たとえばネジの材質や量、場所が変わるたびにフォローは必要になってきます。機械のオーバーホールからリサイクルまで、私たちはユーザーと一緒になって事業に参加していくという意識があります。ユーザー向けにノウハウを提供しているのは、そのためです」と甘利社長。これは、この会社の伝統的社風となっている。

ここにきて、旭サナックは、塗装機械、圧造機に加えて、液晶や半導体をつくる工程でゴミを除去するために使われる洗浄機械がもうひとつの事業の柱に成長しつつある。これは塗装技術を応用したもので、これまで培ってきた技術の進化発展と捉えていいだろう。

携帯電話は旭サナックの技術を説明するのに最も適している。ボディの塗装、内部に使われている極小ネジ、画面の液晶。それらの多くは同社の機械が参加することによってつくられたものである。広い意味では、ものをつくるための道具をつくっているわけだ。ただし、その道具には効率的に質の良い製品をつくるためのノウハウがぎっしりつまっている。見えないところで産業の土台を支えている姿が、そこにある。

◆愛知ブランド企業 認定番号122
旭サナック株式会社