ものづくり王国・愛知

日進医療器株式会社

一人ひとりに合ったオーダーメード車いすをつくる

■東京パラリンピックがきっかけ

本社外観

自動車産業を背景にして、東海地方は車いすの生産が盛んだ。日進医療器はそのなかでも老舗で最大手メーカーである。

創業者の故・松永和男氏は、大学を卒業後、自動車部品のスプリングをつくる中小企業へ入社。その後、昭和39年に独立して、自動車のスプリングやプレス部品をつくる会社を設立した。
高校時代はハイジャンプでインターハイ出場を目指していたほどスポーツ好きだった松永氏は、会社設立の年に開催された東京オリンピックと、その後のパラリンピックをテレビで見て、とくにパラリンピックで身体に障害のある選手が、車いすを自在に使って活躍する姿に感動したという。それが、車いすづくりに乗り出したきっかけだった。
これからは福祉の時代だから、スポーツでも日常生活でも車いすの需要は伸びるだろうという経営者としての判断もあったようだ。

それまでの自動車部品をつくる技術が、ステンレスやアルミのパイプでできている車いすの製造に応用できると考えた松永氏は、市販の車いすを分解して社員とともに研究を重ね、昭和40年には国立身体障害者センター(現・国立身体障害者リハビリテーションセンター)の指導のもとに試作品の第1号を完成し、翌年から販売を始めた。そのときに開発した第1号の車いすは、現在も販売されているロングセラー商品となっている。

しかし、当初、販売は思うように進まなかった。全国の義肢や義足をつくる業界をまわって売り込んだほか、障害者のいる家庭に直接訪問した。筋ジストロフィーにかかって歩けない女子高生の家を訪問したときには、高額商品の車いすは買うことができないと断られたが、車いすに乗って大喜びの彼女を見て、どうぞお使い下さいと提供したこともあるという。そのとき、松永さんの頭の中には、中学校の恩師の「人に喜んでもらえる仕事をしなさい」という言葉が浮かんでいたのではないか。

■細かな「処方せん」を書く

車いすの商品開発は、義足業界、整形外科、理学療法士、リハビリの専門家などの意見を聞きながら行ったが、戦争で負傷した傷病者がたくさんいた箱根の国立療養所を訪問したとき、持っていった車いすの感想を聞いてみると、体格や腕の力、障害の場所によって、座面がもっと低い方がいいとか、逆に高い方がいいとか要求はバラバラだった。

それを聞いて、松永氏は「今までの車いすは乳母車と同じだった」と気付いたという。そして「車いすを使う人すべてに喜んでもらうには、これまでのような規格品では不可能だ。一人ひとりにあった車いすをつくる必要がある」と考えた。昭和42年頃、日本初のオーダーメードの車いすはこうして始まった。

それまでの車いすは、座面の高さ・奥行き、背もたれの高さ・角度、肘掛けの高さ、フットプレートの位置、駆動輪とハンドリムとの隙間などは、1台1サイズに固定されていた。つまり、体を車いすに合わせている場合が多かったのである。体に合わない車いすに乗り続けると、床ずれや腰痛、食欲減退などの問題が起きる可能性があるほか、活動意欲が衰え、寝たきりになってしまうケースもあるという。体が車いすから滑り落ちる危険から、福祉施設では車いすに座るときベルトなどで縛ることも多かった。

体型や障害の箇所・程度、車いすに対する習熟度を考慮してつくられるオーダーメードの車いすは、こうした問題を解消するものだった。
オーダーメードの車いすは、まず、医者が薬を出すときのように、各個人の「処方せん」を書くところから始まる。それは微に入り細にわたり、車いすの設計図のもととなるデータがびっしりと書かれる。車いすを使用する人にとって、限りなく手足に近づくものをつくるために不可欠の工程だ。その後、アルミのパイプをカットし、車いすに組み立てられる。完成品ができあがるまでには、30日~40日かかる。

日進医療器がつくり上げた、このオーダーメードシステムは、それまでの体に合わない車いすを使っていた人たちにとっては、まさに待ちに待ったものだった。

また、スポーツ用の車いすは、一般の車いす以上に選手個々の特性に合わせる必要があるため、このオーダーメードシステムが活かされている。ソウルのパラリンピックでは、日本選手の多くが日進医療器のものを使った。

■すべては職人の手づくり

営業部長の服部一希さん

同社の車いすはほとんど職人による手作業で組み立てられる。とくにオーダーメードの場合は、処方せんをもとにアルミのパイプをカットした後、一人の職人が最初から最後まで責任をもって溶接し、組み立てる。溶接の仕方、ボルトの締め具合などによって、乗り心地は大きく変化する。

「当社が使っているアルミのパイプはA7003材といって、非常に硬い国産のものを使っています。それは当社専用のものです。また、工場で働いている人たちは職人気質で、少しでもいいものつくりたいという気持が強い。溶接ひとつとってみても、その技術を高く評価していただいています」と営業部長の服部一希さんは胸を張る。

ただ、オーダーメードの車いすは、高度な製作・設計技術が必要なうえ、つくるのに時間と手間がかかるほか、処方せんを書く段階でも、高度な使用者評価能力と車いす設計能力が要求されるという面がある。このような多品種少量生産で生産効率が悪いといった問題を解消するため、同社は、いろんなタイプの部品をあらかじめ用意し、注文に応じて組み立てるモジュールタイプの車いすもいち早く開発している。これなら納期はずっと短くなるし、使用者の体型や障害の程度の変化に応じて、使っている車いすの一部だけを取り換えることもできるメリットがある。

ファッション性を重視した車いすもある

そのほか、レバーについているボタンを操作して椅子ごと上に引き揚げて、ほとんど立ち上がった状態を保つことができる「スタンドアップチェア」や、小回りの利く六輪車、傘と同じようにワンタッチで折り畳むことができる、軽くてかさばらない車いすなど、オリジナルの車いすを次々と開発している。さらに、アルミ製をまっ先に導入して軽量化を図ったほか、一時期、カーボンファイバー製やチタン製の車いすもつくっていたことがあるなど、素材の探求も怠らなかった。

現在、同社の車いすは約140機種もある。使う環境や求める機能・デザインによって選択できるようになっているうえ、機種ごとに何種類ものサイズを揃え、オプションも豊富に取りそろえている。既製品でも、できるだけ一人ひとりに合ったものを提供したいという思いが、そこにはある。ある意味で、生産の効率化を犠牲にしても、限りなくオーダーメードに近い既製品をつくることをめざしていると言っていいかもしれない。
生前、松永氏は、「車いす製造はスケールメリットはありません。手づくりで良い製品をつくることが大事」と語っている。

■道具であり、道具以上のもの

平成16年に開催されたアテネパラリンピックのマラソンで4位入賞を果たした伊藤智也さんが、マラソンを始めたのは、偶然、ある車いすと出会ったことがきっかけだった。進行性の病気によって車いす生活を余儀なくされた伊藤さんは、普段の生活に使う車いすとして、日進医療器のスポーツ用車いすを買い求めた。
その時点で、それがスポーツ用であることは全く知らなかったそうだ。スポーツ用車いすは、旋回性をよくするために車輪が「ハ」の字に取り付けられており、一般的な車いすとスポーツ用とでは、スニーカーとスケート靴ほどの違いがある。

手づくりの製造現場

当然ながら、その車いすは、普段の生活に使うには、どうにも使いにくかった。しかし、たまたま手に入れた、その車いすによって、伊藤さんはスポーツに目覚めていった。車いすは、使う人の生き方にも大きな影響を及ぼす道具である。それだけ、メーカーの責任も重大になる。

「当社の車いすに乗って喜んでいる写真を送っていただくことがあります。また、納品に立ち会ったとき、それまで使っていた車いすから、当社の車いすに乗り換え、すごくうれしい顔をしてくれる方がいます。この仕事に携わって、最もうれしい瞬間です。つくっている現場でも、そういったユーザーの笑顔を写真を貼って、励みにしているんです」と服部さん。

障害を持つ人たちにとって、車いすは道具でありながら、自分の手足と同じで道具以上のものという側面がある。メーカーとしての責任も、つくる喜びもすべて、その点に由来している。利用者一人ひとりに合った車いすをめざし、オーダーメードを先導してきた日進医療器は、そのことを最もよく知っているメーカーであろう。

◆愛知ブランド企業 認定番号149
日進医療器株式会社