自動車の樹脂製内装部品などを成形するための金型をつくっているKTX。国内自動車メーカーはもちろん、アメリカやヨーロッパの自動車メーカーにも同社の金型が採用され、その技術力は世界的に高く評価されている。
KTXの金型は電鋳と呼ばれる方法でつくられている。電鋳とは電気鋳造の略で、いわゆるメッキと同じ原理。電気を利用して、原形に5ミリ前後の厚メッキを施した後、できあがったメッキの金属層を原形からはがすと、形や表面の質感が精密に再現される。それを金型にして、自動車のインストゥルメンタルパネル(インパネ)やドアのパネルなどをつくる。電鋳の最大の特徴は、ミクロの表面精度をもった限りなく本物に近いレプリカをつくることができる点にある。
会長の野田泰義さんと電鋳との出会いは不思議な巡り合わせだった。野田さんがまだ高校生だった頃、従兄弟が真っ黒な顔をして、毎日、夜遅く帰ってくる姿を見ていて、「つらい仕事をやっているな」と感じていた。ある時、その従兄弟がやけどをして帰ってきた。「どうした」と聞くと、「湯が飛んだ」という。砂などでつくった鋳型に流し込んで製品をつくる鋳造の製造現場では、「どろどろに溶かした金属」のことを「湯」と呼ぶ。
それを聞いた野田さんは、何とか従兄弟に楽をさせる方法はないかと思案した。「電気掃除機、電気洗濯機、電気冷蔵庫など、当時は電気を使えば何でも便利になると考えられていた時代。じゃあ、電気鋳造というものがあればいい」と思った。
その数日後、驚いたことに、学校の授業で電気鋳造という言葉に出会った。実際には、どろどろに溶かした金属を型に流し込む鋳造と、電気によって厚いメッキを積層させる電気鋳造は、まったく異なる製造方法だったが、野田さんは「なんだ、従兄弟を楽にできるものがすでにあるじゃないか」と感激したそうだ。
しかし、まだ電気鋳造が一般的に普及していない時代、電鋳を行っている会社はなかった。そのため、野田さんは学校を卒業すると、ゴムをつくる会社に就職した。勤め始めて数年後のある時、会社から「今度、アメリカのメーカーが電気鋳造の金型を使って自動車のアームレストをつくるらしい。当社も電気鋳造を始めたい。キミは化学が専門だから、電気鋳造の金型づくりに取り組んでほしい」と依頼される。
野田さんと電鋳との不思議な出会い。その後も長いつきあいとなる野田さんと電鋳は、出会うべきして出会った運命のようなものだったのかもしれない。
会社から命を受けると、野田さんは、関連の書籍を読みあさり、メッキ工場の現場を見学してまわった後、さっそく設備を導入して、電鋳による金型づくりに取り組み始めた。アームレストは靴のような形をしており、中は空洞になっている。しかも、表面は本革のような質感にしなければならない。そのような形の金型をつくるために、野田さんが選んだのは、低い温度で溶ける低融合金を原形に使う方法だった。
まず、80度で溶ける低融合金でつくったアームレストの原形の表面に、継ぎ目がわからないように革を貼った。電鋳は、ほんの少しの継ぎ目でも忠実に再現するため、とにかく継ぎ目を目立たなくする必要があったからだ。
そうしてできあがったものの表面に導電性のよい銀を塗布してマイナス極につなぎ、プラス極にはニッケルをつないで、両方を電解質の溶液に入れて電流を流すと、原形の表面に一定の厚みのあるニッケルの層ができあがる。
これは、2つの金属のイオン化傾向の違いを利用して行うメッキとまったく同じ原理である。それから、原形を取り出して80度以上の湯の中に入れると低融合金が溶け、その後、革を剥がすときれいなニッケルの金型ができあがった。
この時つくった金型は、実際にトヨタ自動車のアームレストに採用された。従兄弟を何とかして助けてやりたいという高校時代の夢がかなった瞬間だった。
その後、野田さんは、会社を辞めて独立。電鋳の技術を活かしたものづくりを始めた。電鋳によって仏壇の金具をつくったり、金型製作のために銅・ニッケル電鋳槽を設置して研究を始めた一方、革貼り加工、樹脂型製作も手がけるようになったが、それほど仕事たくさんあるわけではなく、金型をつくっても何度も直さなければならい状態が続いた。
そこに、昭和48年のオイルショックに襲われ、仕事はまったくなくなってしまった。その間、電鋳の研究をひとりの社員に任せ、野田さんと他の社員は、パチンコ店の壁や椅子を洗うアルバイトをしながら何とか食いつないだ。野田さんは、その社員に「うちの柱は電鋳なんだから、オレ達が椅子洗いに行っても、お前だけは電鋳の研究を続けてくれ」と励ました。そんな期間が1年半続いた。
オイルショックの影響が鎮まると、1年半の間研究を続けてきた成果が出始めた。それまで苦労してきたメッキ液の組成や、メッキ厚やメッキの析出状態をコントロールする電流密度、液温などの課題がクリアになり、質の高い電鋳の金型ができるようになったのである。
「それまでは、熱をかけると割れてしまったり、細かい孔が開いていたが、社員が1年半ずっと研究してくれたおかげで、良いものができるようになった。これでやっと、電鋳で食っていけると自信を持つことができました」
と野田さんは振り返る。実際、電鋳技術によってつくった金型をユーザーに見せると、その質の確かさはすぐに伝わり、仕事は増えていった。
さらに、昭和59年、同社は電鋳の概念をうち破るような画期的な電鋳技術を開発する。それは孔のたくさん開いている電鋳の金型だった。それまでは、電鋳でつくった金型に孔が開いていたら失敗というのが常識だった。その常識を覆したきっかけは何だったのか。
それは、野田さんがヨーロッパを訪れた際、孔が開いているエポキシ樹脂の型に柔らかいシートを吸引し、そこにウレタンを流して自動車のドアをつくっている現場を見学したときだった。それを見て、野田さんは「電鋳で孔が開いた金型をつくれば長持ちするから、メリットは大きい」と確信したそうだ。
その後、あるユーザーからサンプル製作を依頼されて、試作品をつくったところ、失敗して孔だらけの電鋳ができた。そういう製品は「ガサ電鋳」といって、不良品の代名詞だった。しかし、野田さんは「これはひょっとしたら発明につながるかもしれない」と思った。
もう一回、同じものをつくってくれと社員に指示すると、2回目も同じような孔だらけの電鋳製品ができた。その社員は、オイルショックの頃、野田さんたちが椅子洗いのアルバイトをしているときに、1年半にわたって電鋳の研究を続けた社員だった。
「1年かかっても2年かかってもいいから、この孔が0.1ミリになるように研究してくれ」
と野田さんは再び社員に指示した。その1年後、ビールの泡のようなものを原形表面につくり、それをうまく制御することによって孔は見事に0.1ミリになった。それがポーラス電鋳®の始まりだった。
ポーラス電鋳®でつくった金型は、真空状態を利用し樹脂シートを金型に吸引して成形する。
金型表面を忠実に転写するため、二次加工や塗装を簡略化できるメリットがある。質の高い製品と製造コスト削減の両方を実現する画期的な金型の誕生だった。
そのポーラス電鋳®の技術を持って、野田さんは自動車メーカーのホンダへ駆け込んだ。当時、ホンダの工場では他の方法で研究を進めていたが、何度かのやりとりの末、最終的にはKTXのポーラス電鋳®が採用されることとなった。
その後、同社はポーラス電鋳®の改良型であるスーパーポーラス電鋳®を開発。それは、金型表面を忠実に成形品に転写できるほか、レーザーで任意の位置に任意の大きさの孔を開けることができるため、複雑な形の製品でも金型から抜き取りやすいメリットがある。さらに、紙のパッケージを成形するメッシュ電鋳や街路灯カバーを生産する金網配管電鋳、ウレタン屑を成形するパンチング電鋳など新しい電鋳技術を次々と開発した。
ある時、アメリカの自動車メーカーが、デザインの融通性・リサイクル性・軽量化・生産性コスト・仕上がり品質などの面から、世界中の自動車のインパネを調べたところ、ある日本車のインパネがもっとも優れているという結果が得られた。そして、そのインパネの金型をつくっているのがKTXであることを知ると、「ぜひとも試作をつくってほしい」と依頼してきたという。従兄弟を思う気持ちからスタートした野田さんの電鋳技術は、今や世界が認めるまでに成長した。
現在、電鋳は自動車産業をはじめとして、特殊な容器、建築用部材、日用品などさまざまな分野へと、その利用範囲は広がりつつある。野田さんは、「電鋳をもっと使ってもらうことが私の使命」と言い切る。その言葉には、電鋳一筋に生きた自信と、新たな可能性へ挑戦し続ける意志が込められている。